例えそれが他人事であっても
救いの手を差し伸べることが出来なくても
一方的な暴力や圧力によって誰かが傷つけられたり
蹂躙されることを許容することが出来ない
より正確に言うならば、許容してしまうと
私の中のちっぽけで臆病ながらも存在している良心が
まったく跡形もなく失われてしまうようで恐ろしい
何よりも自尊心の有り様が変形していくような恐怖を感じてしまい
斜に構えたモノの見方で逃げ場さえ用意していれば事足りるという問題ではなく
このヒリヒリした心は確かにあって
その理由もなんとなく解っている
一方で誰かの目線が気になっていたとしても
これは、それよりも大事なことなんだと本能が告げている
たぶん、目覚めるたびに死体と不信感だけは確実に増えていて
出来の悪いタダ不愉快な物語を見せられているような気分になるに違いない
チベットに知り合いがいるわけでもなく
映像のダライ・ラマはあまりに普通のオヤジに見えるというのはさておいて
今更、知った歴史的経緯を差し引いても
これ見よがしな装甲車で世界の中心に居座っているような
勝手な思いあがりが失笑されても
俺の心がヒリヒリしているのは間違いない
2008年03月19日
2008年03月15日
ミットモナイ話。
いろいろなことが止まってしまっている。
まずは、就職。一番頭の痛いところではある。
引き続き贅沢を言わず探します。
楽曲の録音。
楽曲の構成が決まらないのでドラムのパターンが組めない状態。
時間は、あるのに作業が進まず。
とりあえず三曲ほどオケと歌入れは済ますものの
積ん読の読破も遅々として進まず。
数が多すぎる上に視力低下で読んでいるうちに面倒になってくる。
集中力も低下しておるな。
で、ヒキコモッテイルト不安が襲ってくるので友人に電話してみる。
「あんたなんか、ワシよりもマシなのに何を悩んでおるの?もっと楽しまな!」
と笑い飛ばされる。
あれやこれやと振り返っては考えることも多い。
自分自身に甘くというよりは身体と精神を壊してまで
耐えなきゃならんことなんてあるのだろうか?
拷問される国家機密を知ったエージェントでもあるまいし
そうであっても自分に代えが効かないのは同じことではある。
絶対に私は秘密諜報員むきではないね。
まぁ、依頼もなかろうけど・・・。
ここんとこ撤退が続いたので私自身、そりゃイロイロ傷ついたわけであるけど
撤退してなきゃどうなっていたことかとも思う。
自己防衛と自己肯定というのは
みっともなくても無いと困るもんだなと。
文章にして書いてしまうと余計に
自分が不憫に思える
古池や、蛙飛び込む、水野晴郎なわけであるが
他人様が、どう思うかはともかく
やはり自分が大事ということで逃走肯定論者の私としては
カッコ悪く生きることの出来る社会というのを夢想するわけであります。
いや、それでも「シベリア超特急」シリーズ化するのはどうか?
とも思うわけなのね、関係ねーけど。
とりあえず飲みすぎには注意しつつ
適当というのが、どれほど尊いものか、しみじみとしておるわけです。
まずは、就職。一番頭の痛いところではある。
引き続き贅沢を言わず探します。
楽曲の録音。
楽曲の構成が決まらないのでドラムのパターンが組めない状態。
時間は、あるのに作業が進まず。
とりあえず三曲ほどオケと歌入れは済ますものの
そこまで。
いったい何時頃どんだけの曲数で発表するつもりなんだ俺は・・・。
積ん読の読破も遅々として進まず。
数が多すぎる上に視力低下で読んでいるうちに面倒になってくる。
集中力も低下しておるな。
で、ヒキコモッテイルト不安が襲ってくるので友人に電話してみる。
「あんたなんか、ワシよりもマシなのに何を悩んでおるの?もっと楽しまな!」
と笑い飛ばされる。
ゴモットモ、今日明日、生き死にの結果が出るわけでも無し。
あれやこれやと振り返っては考えることも多い。
自分自身に甘くというよりは身体と精神を壊してまで
耐えなきゃならんことなんてあるのだろうか?
拷問される国家機密を知ったエージェントでもあるまいし
そうであっても自分に代えが効かないのは同じことではある。
絶対に私は秘密諜報員むきではないね。
まぁ、依頼もなかろうけど・・・。
ここんとこ撤退が続いたので私自身、そりゃイロイロ傷ついたわけであるけど
撤退してなきゃどうなっていたことかとも思う。
自己防衛と自己肯定というのは
みっともなくても無いと困るもんだなと。
文章にして書いてしまうと余計に
自分が不憫に思える
古池や、蛙飛び込む、水野晴郎なわけであるが
他人様が、どう思うかはともかく
やはり自分が大事ということで逃走肯定論者の私としては
カッコ悪く生きることの出来る社会というのを夢想するわけであります。
いや、それでも「シベリア超特急」シリーズ化するのはどうか?
とも思うわけなのね、関係ねーけど。
とりあえず飲みすぎには注意しつつ
適当というのが、どれほど尊いものか、しみじみとしておるわけです。
2008年03月06日
連鎖を止めるアレコレ。
“寛容”というものについて
最近、思索を巡らしたりしているわけである。
つまり寛容さというものを他人に求めることは
有りがちであるけども
私自身が他人に対して寛容でいられるのか?
あるいは、寛容であっただろうか?
などという実生活には、な〜んも役に立ちそうにない
毎度バカバカしい与太話で御座います。
それから、それから・・・。
最近、思索を巡らしたりしているわけである。
つまり寛容さというものを他人に求めることは
有りがちであるけども
私自身が他人に対して寛容でいられるのか?
あるいは、寛容であっただろうか?
などという実生活には、な〜んも役に立ちそうにない
毎度バカバカしい与太話で御座います。
それから、それから・・・。
