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2008年06月09日

軋み。

他殺であろうが自殺であろうが
あるいは事故死や病死など死に方に関わりなく
死というのは不条理なものでは有る。

だからといって、そのことが何の慰めにもなりはしないし
旅立った者は帰ってこない。

人の死の知らせを見聞きする度に
私は世界の軋みを思い知らされるような気持ちになる。
それが親しい人の死なら尚更のこと
誰に向かってというわけでもない「どうしてなんだ?」という問いは
死に方にではなく事実に対して発せられては消えてゆく。

我々は未来を予定しながら生きている。
「午後から、あの用事を片づけよう」とか
「明日の夕方までにはあの人に連絡をしておこう」とか
たいがいの場合、来る筈の“午後”や“明日の夕方”が消滅するなんて
想像もしなければ考えもしない。

しかし無情にも世界の軋みとは、そういった消滅をやってのける。
もちろん、私が、あなたがイナクナッテしまうという方法で・・・

直接的にも間接的にも人を死に至らしめる原因は沢山ある。
思いつくだけでもアレヤコレヤ・・・

明日の朝、目覚めても私は自分が生きていることに感謝なんてしないだろう。
仕事から帰ってきて五体満足に無事、一日を過ごせたとしても
自分が幸運だったとは思わないだろう。

不意に訪れた死の瞬間に私は何を考えるだろう?
いや、考える間もないかもしれない。

たぶん明日も、その次の日も私は保証されているわけでもない
“午後からのこと”や“明日の夕方までにやるべきこと”を考えているだろう。
「たぶん」なんて言っているが
希望的生命の連続性の維持を述べているにしか過ぎない。
だって世界がどんな風に誰の近くで軋むかなんて
誰にも解りはしないのだから・・・

ブログの更新もままならない故
もしも、私が死ぬようなことがあったら
少なくともネット上では確認のしようも無いことだなと思うが
まぁ、別に気に病む程のことでもない。

そんなことは家族、親戚、知人に伝わればそれで済む話だ。

また、おかしな方向に話が飛んでしまったなぁ・・・

2008年06月08日

梅雨。

良いイメージを獲得するために多少のインチキや欺瞞に目をつむるならば
結果的にそれは悪質な感性に他ならない。

そうそう、まさにそれこそが必要なことなのだ。
肝心なのは名目によって流通するということであって
停滞することではない。
電気を消してさっさと帰宅するよりは残業代を稼いだほうが
懐には優しい。
もちろん、それは大事なことさ。

イベントの関係者が浮かれている。
地球環境のために照明やアンプの電源を落としたりしたら
今度はいつ仕事にありつけるのやら・・・

話し合うことは他にもあったはずだが
真剣な議論というのはマズイ。
その切っ先が自身の方へ向けられることもあるかと想像すれば
クワバラクワバラ・・・この辺が落とし所かね?

おいおい、「エコだから買い替えましょう」っていうのは
いったいどこの誰が捻り出した屁理屈なんだ?
俺が広報の担当者だったら広告代理店にやり直しを命じるね
こんな事を信じる慌て者を相手に商売する気かね? 
人材不足なのか?よっぽどのアレなのか?

いやぁ〜本当にテレビというのは面白いよ
君たちには笑いの才能がある。
失笑というのをこれほど漏らしたのは久しぶりだよ。

下半身が水没した日にゃあ小便を漏らしたって
誰にも気がつかれやしないさ
まぁ、悪いことばかりでもないかな?

梅雨になったぜ、傘を忘れなさんな!
大雨にでもなって いっそ全部、流されてしまえば
スッキリもするんだろうが
そうもいかねぇな・・・。