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2006年10月08日

スッパイ顔。(自尊心についてのアレコレ)

小さな世界では僅かばかりの差がゲームを左右する。
例えば参加時期が少しばかり早いとか年上だとか
目くそと鼻くそを掻き集めたところで
茶碗一杯にもなりゃしないのだがプレイヤーにとっては
ゲームを少しでも有利に運ぶための大事な道具だ
なんせ、その少しの差異が
小さな世界での小さな権力に結びつくとなれば
事あるごとにそいつを使い回すことになる。
なるほど”物持ちの良い奴だ。”エコとエゴの両立とは・・・。


社会人ともなれば
その手のゲームに好むと好まざると
巻き込まれるなんてことも珍しかぁない。
むしろ日常茶飯事ともいえる。
今現在、私がそのゲームに渋々ながら参加していることは認めよう。
ついでに私が優秀なプレイヤーでないことも認めちゃおう。
(渋々なんだから優秀なはずもないわけだが・・・。)

つまるところ、これらが共同体や組織の人間関係というやつなのだが
そんなものに振り回されて、フト我に返ると
本来の目的とは別にその場所が
「馬鹿グランプリ・コンテスト」略して”BGC”
(略する必要全くなし。)の会場に見えてしまうから不思議だ。
いっそのこと部門別に大賞でもくれてやりゃいい。

「同じコトを繰り返し言うで賞」とか
「それがそんなに自慢か!賞」とか
「他人を馬鹿呼ばわりするあんたが馬鹿で賞」なんてのとか
千ほども思いつきそうな勢いではあるが
後は君たちに任せるよ・・・。

もちろん頭が良い悪いの話をしているのではない。
便宜的に”馬鹿”を使ってはいるけれど
自分にとって不快かどうかの話だ。

誰に限らず
図に乗ったり、自分のことを棚に上げたり
自身の自尊心をコントロールするとは困難なことではある。
たまにコントロールそのもを放棄している天才?も
いるにはいるが、近よるのは遠慮する。

まぁ、天才、凡才の区別はさておき、それらは
表現の仕方を間違っている場合もあるし
意図的に悪意が実行されていることもある。
悪意が癖になってしまっていて普通に不快であるなんて
タチの悪いケースも希に、いや結構ある。
その他にも、あれやこれや・・・。

あらゆる自尊心というやつを否定するつもりは更々ない。
むしろ肯定したいのだが問題はその有り様であると思うのだが
どうだろうか?どーでもいいか?それじゃ話が終わってしまう。

自尊心の根拠を他人に置くかどうかが
たぶん不快かどうかを分ける分水嶺になるような気がする。
暗黙に要求された自尊心をフィードバックして肥大する自我。
「当然、私は尊重されて然るべき」という根拠無き圧力は
バルブの壊れた加圧器みたいに
ブーストはされるが、いつまで経っても規定値に到達しない。
だから余計に加圧しようとする。

誰かがではなく私がどうあるかというのは常々
不快を被る側として、あるいは与えてしまう側としても
ついて回る問題であるけど、どうすりゃいい?誰かオセーテ!
”間違いに気づくほどに遠ざかる和平交渉”なんてこともある。
(喩えの方が難しくて、こりゃ失敗だな・・・。)

自分と他人の関係性は正しさだけでは計れはしない。
もともと公平であるはずもない経験や能力で溢れかえる河を
欲望までかき混ぜて向こう岸まで泳いでいこうというのだから
技術も体力も、それに運も必要だ。
どれひとつ私には充分に備わっていないことが不安になって
やりきれない気持ちになる。
いや、備わっているかどうかというよりも
「まだ不十分である。」という自身の感覚に苛立つ。


”甘え”と言われればその通りで御座います。
普通に「人間」してますから・・・。


他人が自分の居場所を用意してくれることはあっても
そこを居心地の良い場所ににするのは
あくまでも自身の作業であることも承知している。
その一方で、一人の力でどーなるもんでもないというのも事実だ。

あ〜いかん。俺、今スッパイ顔になってる。

汚い言葉のひとつも吐いてみるか?スッキリするぜ!
たぶんその後に数倍の自己嫌悪が待ちかまえていることだろうが・・・。

「自由とは、すなわち権力のことである。」
と看破したのはマルクスだっけ?
なるほど・・・至る所で権力闘争が起こるわけだ。

嗚呼、静かに余生を過ごしたい・・・。


仕事してお金を儲けるって大変だ・・・。こういったことも含めて。

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