いつも悩ましい問題ではある。
格差がどーだとかそういったことは以前からあったことで
”富の再分配”についての問題は重要ではあるが
私の手に余るのでとりあえず置いておくことにして
自身のお金の使い方のお話である。
結論から言えば、喰って行くには困らず趣味であるところの
アレコレに不自由なく浪費出来るというのが理想の生活である。
要は遊興費の割合をいかにバランスさせつつ将来の
金銭的不安を回避するかという難問なわけだが
こつこつ働いて無駄遣いしなければお金は貯まるわけだ。
なにをもってして無駄遣いとするかは
各個人の価値基準に照らし合わせて
取捨選択となるのだが、博打で多額の損失を出しても
その興奮と時間の過ごし方に納得していれば
まぁ、無駄とは言えまい。
もちろん負けるつもりで賭け事をする奴などいないわけだが・・・。
ちなみに私は博才がないので
かなり前にパチンコも競馬もやらなくなった。
金の使い方が生き方そのものを規定してしまうというのは
資本主義社会で日々、アホ面さげてかけずり回っている私にとって
仕方ないコトと言えばそれまでなのだが
貯めてばかりでは「何の為に働いているのやら?」
といった考えに囚われるし。一方、趣味につぎ込めば
「なにかあった時の貯えは、いかほどあればよいものか?」
なんて不安に駆られる。
だいたいこの辺を行きつ戻りつ給料明細を恨めしい表情で
しばし見つめるというのが最近のパターンである。
食費、光熱費、家賃、税金、年金、
お子さんのいらっしゃる方なら養育費・・・等々。
生きていく上でのコストを支払った上で
幸福や充実を感じるのもまた才能なのかもしれない。
そいつは、かなり素晴らしい才能だと思う。
「収入の高低が幸福には比例しない。」
なんてありきたりのお話は今更するまい。
確かに収入にかかわらず幸福や充実を感じる事実は
誰もが経験することではあるが
収入によって将来、あるいは今月の生活に不安を覚える事実だって
確かに存在するのだから。
欲望のしつけ方とか”気の持ちよう”で
なんとか乗り切れることだってある。
現にそうやって今までやってきたのだから
これからだってやっていけないことはない。
だけど、それだけじゃなぁ・・・。
それじゃいくらあれば足りるのか?
高級車は必要か?自家用ジェット機は?
・・・これではあまりにも喩えがブッ飛びすぎている。
月に何回、回転寿司に行きたいか?
量販店で買った洋服は本当に必要だったのか?
・・・現実的になると妙に貧乏くさい。
結局、同じ悩むのでも貧乏は嫌だって結論か?
違うだろ・・・たぶん。

るりちゃんジャンボ買うっす、あーちゃんはずれたっす、、
>月に何回、回転寿司に行きたいか?
何年も行ってないですが、とりあえず貧乏は敵だー!!!はぁ、、もうどうにもこうにもブルドック
よく宝くじは「買わなきゃ当たらない。」
なんて言いますけど
私の周りで当たった人を確認したことが
全くありませぬ。
当たった人は黙っているだけなのか?
それにしては生活が向上した例を見ません。
>もうどうにもこうにもブルドック
フォーリーブスの引用かと推理しますが
正しくは>「にっちもさっちもどうにもブルドッグ」であります。
思わず指摘してしまう自分の知識が憎い!