はや一年になりました。
もともと日記を書く習慣なんぞなく、不定期ながらも
「良く続いたものだ。」とまぁ、自分を褒めてみる今日この頃
朝晩、めっきり冷え込むようになりましたが皆様
お風邪など召しておりませんでしょうか?
牛田は残業の鬼となり日々、忙殺されております。
嗚呼、金、金、金、かね〜〜〜!。
全然、儲かりまへん。荒んでいく心とフトコロ。
ハッピー・ライフの近況はこの辺にしまして
本来でしたら一周年記念企画みたいなものをドド〜ンと
ぶちあげてみたいのですが、そんな余裕は微塵も御座いません。
もう、淡々と尚かつ細々とやるのが精一杯という有様で御座います。
最近になって気が付きました。
「金のない奴は、時間もない。」
あ〜別に心当たりのある君と君、手を挙げんでよろしい。
こちらからは見えませんから。
そっと心に留めて青春のアルバムに仕舞っておいて下さい。
(無駄に綺麗に喩える必要なし。)
どんなことでもそうですが、やり始めとか
憶え初めとかは物事が面白いモンで御座います。
手慣れてきたり上達していく感覚が自身でも解るというのは
快感でもあり、所謂”のってる”状態なわけで
周囲からも注目を集めたりして良い循環が巡るのであります。
しかし、そういった時期も長くは続きません。
悲しいかな倦怠期が訪れて物事を維持していくことが目的になったり
趣味の範囲のことであれば止めてしまったりと
深く追求していくか、新しいことに乗り換えるか
まぁ、そのへんの選択になっちまうわけです。
結局は自分で決めることです。
最近、牛田は過去を振り返って考えることが多いのですが
「あの日、あの時、別の選択はあり得ただろうか?」
なんてことを思います。
思ったところでやり直しは出来ても
取り返しの付くことなんて一つも無いのですが
同時にこの思いというのは「自分の主人は誰であったか?」
という問いに繋がっていきます。
例えば牛田は今年、長らく勤めた会社を辞めて転職したわけですが
時間や労働を提供して金銭を得る行為というのは
自分が納得してやっていることであって
自分の主人は社長やその他の誰でもなく
「最終的に判断をした自身が主人である。」と思っています。
ですから自身の進退を決めるのは他人ではなく自分でなければいけない。
まぁ、現実的には仕事と馴れ合い
または社員と召使いの区別がついていないのでは?と疑われる
社会的発達障害な方々と日々
コミュニケーションなるものをしないといけないのですが
すこぶる電波状況が悪いなか
交信不能なんて状況に陥ったりもするもんです。
思い通りの理想的環境なんてことは
今まで一度もありませんでしたし、これからもないでしょう。
一つのことが満たされれば次の欲求が湧いてくるもんです。
際限がない。
生きていくって、いろんなことを引き受けなけりゃならんです。
でも、いつも手に余ってしまう。
そんなとき牛田は逃げる、もしくは撤退することにしてます。
蛮勇をふるい我慢や無理をして能力以上の要求に応えるより
とりあえず生き残って風向きが変わるのを待つ。
もちろん風向きが良い日が来るとは限りませんが
それは蛮勇をふるってみたところで同じことです。
いろんなものを計りにかけてみて
損失が少ないであろう方を選択する。
状況によってそれは金銭や生活、
あるいは信念だったりするわけですが・・・。
”知らなかった”ことを言い訳にするか
過失として認めるかで、その人の価値が判断されるように
何をどう決めるのかで自身を
自己蔑視という最悪の状況から回避したいと思うのであります。
夜中に目が冴えて、ツマラン文章を書きました。
・・・忘れて下さい。
