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2007年01月25日

どーでもいい話。

量的な充足が質の向上を促進させるっていうのはよくあることだ
数が足りていないので選択肢そのものが少ないという状態から
物やサービスが飽和し
そのうち供給過剰になって興味や情熱も失せてしまう
かって有り難みのあったものも有ることが当たり前になり
”特別”が”普通”にいつのまにか置き換えられていたなんて経験は
あらゆる場面や事象で世代を問わず誰もが経験しているのだろうな。
変化の速度があまりにも速すぎて
置き換わったことにすら気にならないけど



その一方で突発的な事故や不都合で
今までの当たり前が成立しなくなった不便に対しての感覚は
たいていの場合、苛立ちであり不信感だ。
「この野郎、いったい何をやってんだ!」
利用者の反応なんていつも似たようなもんだ
供給側の事情なんて知る必要もなきゃ知りたくもない
目的通りにコトが運ばないことが問題なのであり
それに時間を取られる不快が取り除かれることこそが重要なんだから。

利便性というのは正義ではあると思うのだが
一度それを知ってしまうと以前の状態に後戻りしにくい魔物でもある。

利便性に限らず供給されて当然に思われる信頼なんてのも
正義であり魔物であると思う。
例えば工業製品に対する安全性や食品に対する品質なんてのは
もちろん普通に確保、管理され
なおかつ向上していくのが望ましいのだろうけど
その一方で「程々でいいんじゃねぇの?」なんて感性も働く。

新鮮で美味しい食材が厳選されていく過程で廃棄されていく
”決して美味しくないわけでもない食材すら
口にすることの出来ない飢えに苦しむ人々がいる”
という事実を思い出すとき
それが安っぽい、すぐに忘れてしまう程度の
ヒューマニズムであると自覚していたとしても
苦しんでいる人々がいるのも、私が少しばかり引け目を感じているのも
事実として存在してしまう。
そりゃ、まぁ上を見ても下を見てもきりがないわけですが・・・。

だから何がどうなるってわけでもない。
どこかで選択出来る場面もあったのかもしれないが
とりあえず、もうこの列車に乗ってしまったのだから
次の駅がどこだか解らないけど”環境”とか”エコ”でお茶を濁しつつ
免罪されてるような気になっていれば、とりあえずは事足りる。

線路は続くよ何処までも・・・というわけだ。

まぁ、こんな風に書いてみたところで
私が特別に何かから免罪されているわけでもない。
便宜的に”免罪”なんて書いているけど
それほど罪の意識があるわけでもない。
だからこそ私はあなた以上に業が深いのかも知れないけども・・・。

満ち足りていることが飢えた感性を生み出す矛盾に
困惑し生きていくのは辛いという程ではないけど
慢性的な肩こりぐらいにはスッキリしないよな・・・。

別のことを書こうと思っていたのだけど書き始めると
おかしな方向へ行ってしまって収拾がつかなくなってしまった。


まぁ、いつだってこんなふうだ・・・。



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