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2007年03月19日

情念倫理。

”歯に衣着せぬ意見”とか”毒舌”といった類は
なんとも扱いに困るわけである。・・・正直なところ
直接本人を目の前にしてそれらが語られるなら
その周辺の関係性だけで完結
あるいは迷走するぐらいのことで終わるのだろうが
これがメディアを通じてのこととなると
当事者でもない者が印象で語ってしまう言いがかりみたいなことになって
まぁ、野次馬の一人として傍観しているには面白いこともある。



”歯に衣着せぬ意見”や”毒舌”が意識的であるにしろ無いにしろ
発信者の賢さの演出の道具に使われているのに遭遇するたびに
その馬鹿さ加減が余計に際だって読んだり聞いたりしているこっちが
痛々しい、あるいは寒々しい気分になってしまうなんてぇのも
たまに経験する風物詩みたいなもんではある。

「あぁ、この人ガチだ・・・」とか「浅いなぁ・・・」とか
浅さいが故にその選択がベストだと思いこんでいるどうしょうもなさというのは
ある種の郷愁と人の弱さに対する愛おしささえ誘発する。

首尾よく演出が成功して、発信者がブランド化することで
権威を手に入れて稼いでいる状況というのも
これまたよく見る風物詩ではあるわけだが・・・。



マックス・ヴェーバー言うところの
「情念倫理」と「責任倫理」の問題というのは
常々、私自身の自意識やモラルをチクリチクリと
刺すように苦しめる悩ましい問題ではあるけれど
大概の場合、人は傍観者であり、また傍観者であるが故に
小賢しくも語りたがるといった性質のもんではある。

語ることが排泄の快感にも似て「スッキリした!」なんてのは
はた迷惑な話ではあるけど「なんだか、まだスッキリしねぇ〜」という状況は
危ういバランスで風向きによっては「こちらに転がってくるんじゃねーか!?」と
周囲を恐怖と不安に落ち入れる
インディ・ジョーンズの巨岩を眺めてるみたいなもんだ

逃げる方向に追っかけてくるんじゃねーよ!

実直で毒舌な発信者に対して
「文句ばっかり言ってないでおまえがやってみろ!」というのは
まさしく正論ではあるけれど
文句も無ければ無いで無味乾燥としてつまらないとは思う。


何事もほどほどに許容して適当に無視するのが不文律というやつだ。
灰色の世界に咲いた黒い花にも生命はあるのだし
そのうち枯れる時も来るだろうさ・・・。


それにしても「責任倫理」を果たすべく評論家なり批評家が
実際に行動を起こして作品制作をしたり政治活動したりして成功したというのは
私の記憶力が悪いせいか思い出せないな・・・。
いやぁ、私が知らないだけでそういった例もあるんでしょう

・・・たぶん。

あるいは行動を起こしたはいいが
周囲から「やっぱり思う存分、語ってるだけにしておいてください!」
なんて迷惑がられた上に図らずも「能力の無さ、更に倍!」
クイズダービーのラスト問題みたいになってしまう黄昏も大いに予想される。


恐ろしや、恐ろしや・・・。


「いいこと言った!」と喜色満面の裏側で
嘲笑されてる方がまだ、ましだってこともある。
選択は”最善”か”最悪”かではなく
”最悪”か”許容できるぐらいに悪い”の二者択一だったりするが
気がつかないことが幸福を持続する
”たったひとつの冴えたやり方”というわけだ。
「信じる者は救われる」のは少なくとも本人自身には有効な薬ではあるが
あまり顔色がよくなったようには見えませんけど・・・

まぁ、それで充分ですがね


と、ここまで読んで
「牛田は上からモノを見てんじゃねか?おぉう!」といった突っ込みは有効だ
まさにこの文章こそが自身を賢く見せる為の演出であり
その浅はかさ故に皆様から愛されようという小賢しい魂胆なわけだが・・・

だから最初に「扱いに困る」って書いたでしょ。

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