いったいそれは何に由来するものであろうか?と最近考え込むことが多い。
転職をして一年ほども経つのだが
この一年間は自分でも軽く鬱病であったなと振り返る。
環境の変化というものがこれほどまで堪えたこともなかった。
今もって不安は続いているのだけれど
社会生活に支障があるというほどではない。
思い起こせば私のこれまでの人生なんて環境の変化の連続ではあったわけで
「何を今更、不安に陥っているのやら・・・」と自問してみるものの
さっぱり原因が判らない。
強いて理由をあげるなら”年齢を重ねることで弱ってきている”
なんてことぐらいしか思いつかない訳だが
経験を積み知識を得るごとに自身では気がつかないうちに硬直化して
融通が効かなくなっているということなのかもしれない。
時間が限られている以上、一個人の積み上げられる経験には限界がある。
もちろん能力や才能によってもその限界値の値は変化するわけだが
新たなチャレンジをするタイミングに遅いということはないけども
残り時間はそろそろ気にしないといけないといった感じではある。
いったい私自身はこれからどういう自分でありたいのだろう?
そして、それを選択出来るような状況にあるのだろうか?
「いや、選択はいつだって出来るさ、上手くいくかどうかは別にして・・・」
それよりもだ・・・なりたかった自分になれたのか?
なれなかったにしても近づけたのか?
そもそも。それほど具体的なイメージを持って今までやってきたのか?
と自身に問えば答えはNOである。
でも、それは何の罪でもなければ罰でもない。
何かになりたい。自分はこうありたい。というのは
どちらかというと楽しみであり
趣味みたいなもんだと思う。
そして趣味というのは失敗がつきもので
結果として面白くなかったり楽しくなかったりするのも
いってみれば有りがちなことではある。
もちろん、それが喜びで完結するにこしたことはないのだが・・・
例えば私は、なにがしか自分の行為や表現で
他人から尊敬されたいなんて欲望を持っている。
でも尊敬というのは他人が勝手にするものであって
私がお願いしたり強制したりして得られるもんじゃない。
それは、あくまでも結果であって目的には、なり得ないはずだ。
そして結果というのは自身ではコントロール出来るものでもない。
サン=テグジュペリが書き残した
「生きることに解決策などありはしない。ただ前進していく力があるだけだ」
”解決策”を”意味”に置き換えてもいいだろう。
そして”前進”とは日々、日常を過ごすことであり
”力”とは強さというよりも
最低限に少しだけ上乗せされた”気持ち”みたいなもんだと思う。
もっとはやく気づけばよかったのだろうが
おそらく私は以前のようには前進出来なくなっているのだ。
歩幅は小さくなり目的の方角に向いているのかどうかも判然としない。
だけど、それが趣味であるならば出来るだけ楽しみたいとは思う。
楽しむということは実は単純でいて、すごく難しいことではあるのだけど・・・
