検索でヒットして、このブログに来られた方が数名いらっしゃった。
まぁ、読んで頂ければ解る通りのネタ記事に戯れにつけたタイトルであるから
夏休みの終盤に必要とされる情報なんぞコレッポッチも書かれていないわけだが
まさにインターネット恐るべしである。
他人様のことを干渉するのもアレではあるが
たいがいの場合にブログが終わってしまうのは
”ネタ切れ”でそのまま放置しているうちに季節が二つほど過ぎて
みたいなことが重なって面倒くさくなって
書き手も受けても、そのうち忘れてしまうということなんだろうなと思う。
そのほとんどが誰に頼まれてやってるわけでもないし
書き手も受けても所詮、暇つぶしなわけで
キーボード叩いて、こんなどうでもいい文章を書いているよりは
楽しいことは探せば他にもある。
で、実際にそうしたほうが賢明であるとさえ思う。
おそらく面白い話の一つや二つぐらいは誰でも持っているに違いないのだが
それが十、二十、となってくると創作するにしたって限界がある。
後は時事ネタでもって論評していくという手法もあるが
それこそ自らの見識というやつを晒していくわけで
下手をすると大火傷することもある。
というか大火傷することで初めて
書き手と受け手の関係性が見えてくることだってある。
私自身はブログ炎上とかその手の経験を幸か不幸かしたことはないけども
そういったことでさえ曲がりなりにでも意思の疎通というか衝突というか
意見が交換されているならば、そう悪くもないんじゃないかと思ったりもする。
なんてことを書きながら他人の見識なんぞ
それほど信じてもいないし必要としてもいないわけではあるが・・・
久しぶりに更新するもんで
今回、書こうと思ったテーマとは、あまり関係ない与太話なんぞで
無駄にキーボード叩いて行数を埋めている残暑厳しい九月の始まりである。
今回は”地球環境問題”について考えてみようかと無謀な試みをしてみる。
かなり逃げ腰の釘をあらかじめ刺しておくと私自身
”地球環境問題”に関してはそれほど知識もなければ見識もない。
それでは、いったい何を語ろうというのか ?
ん〜どうしましょう?
結論からザックリ言ってしまえば
”地球環境問題”は私の手に余り過ぎる。
そして”優しい”という言葉がつき始めると
とたんにそのことを私は胡散臭く感じる。
「地球に優しい」・・・つまりこういうことだ。
「地球が温暖化している」とか
「ペットボトルのリサイクルに問題あり」とか
いったい何が科学的なのやら皆目、解らぬ。
それよりも科学的なことが有効であるかどうかも怪しい。
それは環境の破壊なのか?それともただの変化なのか?
海面の上昇で陸地が奪われるって?
大陸は長い歴史の中で絶えずくっついたり離れたりしたんじゃなかったっけ?
海面が上昇するのはそれ程、異常なことなのかね?
そこで住んでいる人にとっちゃ大変であるけども
温暖化というのは人間が温度計で測り始めてからの
気温の上昇のことを言っているのかね?
づっと以前は氷河期が来るとか言ってなかったか?(その他、略)
それでは地球環境に対して何もしなくていいのか?
というより京都議定書をはじめとする、ありとあらゆる議論は
地球環境を守る?うえで本当に有効性があるのかね?
どうやら、あまりないらしいという話も聞こえてくるわけだが・・・
つまり、これは我々がいかに持続可能な地球環境を実現出来るか
という問題ではなくて
地球環境に優しいというセルフイメージをいかに構築するか
という問題ではないのか?
そもそも現在の生活における利便性を手放すことなく
地球環境に優しくしようというのはいかにも図々しい発想ではあると思う。
経済活動を止めてまで地球環境保護をすることで
廃虚と化した都市で滅びてゆこうと思う良識派がどれくらいいるのかは知らない。
まぁ、かなり極端なイメージではあるけれど・・・
それにしたってゴミを分別するぐらいで我々は救われるのか?
二酸化炭素の排出量を減らすことで気温の上昇は防げるのか?
絶滅種のリストの最後の方に「人間」と記述されることで
とりあえずは胸をなで下ろし
多少の罪悪感の免罪符に”地球環境”を騒いでいるだけじゃないのか?
私に限っていえば判断しかねることに関しては権威に従うことで
とりあえずの自己責任や判断を棚上げにしたいと思っている。
本当にそれが地球環境に優しいのかどうかは知らない。
が、そうすることで少なくとも世間に対して通りが良いなら
私はゴミの分別やリサイクルに協力しようと思う。
それは私にとっては
”地球環境に優しい行為”というよりは”つき合い”に属することだからだ。
ついでに書いておくと私が電気をこまめに消すのは
経済的な理由、つまり節約の為であり
自家用車よりも自転車での移動が多いのは、それが趣味だからである。
結果的に自動車の排気ガスより
私の吐く息の方が二酸化炭素の排出量が少ないというだけのことだ。
だから私の従う権威が今までとは全く違うことを言い始めたら
私の地球環境に対する態度は一変すると思う。
だって、あくまでも”つき合い”なんだから・・・
胡散臭さを嗅ぎ取ったとしても非難なんてしないつもりだ。
目的と正しさというのはいつも幸福な結末にたどり着けるわけではない
ということさえ知っていれば、それほど気に病むこともない。
そのうち”地球環境問題”もネタ切れになって
しばらくは誰も語らなくなるかも知れない。
夏休みに湧いたブログが蝉の成虫ぐらいの速さで寿命が尽き果てるみたいに・・・
それでも来年の夏には新しい生命が地表に現れ同じように騒ぎ始めるさ。
さて、明日は”燃えるゴミの日”だったな・・・
