何かにつけて意識的な選択の基準というやつがあるだろうか?
例えば「より安全で手堅い」とか
「リスクは高いが成功すれば見返りが大きい」なんかが
思うに一般的な選択の基準、西と東の横綱!みたいなものだとは思う。
まぁ、自分で書いてて相撲に例えるのも
トンチンカンで意味不明ではあるのだが・・・
まぁ、そんなことはどうでもよろしい。
大事な選択の基準の出番というのは大きな買い物をするときであったり
人生を左右しかねない事柄だったり
どちらにしても環境や知りうる情報量なんかで決定するわけだけども
分かり切ったことを判断して選択するというよりは
より確度の低い、つまり先日の転職の話もそうであるけど
先行きの判りにくい事柄にどう対処するかということである。
”対処”なんて書いてみたところで”対処”が出来かねるからこそ
選択を迫られるわけで
つまるところ上手くいかなかったとき
自身をどんな風に納得させるかの布石であったりもする。
そりゃ、何事も上手くいきゃ問題はないわけで・・・
私自身の意識的な選択の基準というのは
私にとって「面白いか、そうでないか」
あるいは「面白そうに思えるか、そうでないか」といったところにある。
つまり私にとってのリスクとは面白く感じる度合いの大きさであり
極めて個人的で一般化して語りようもないのだけど
その第一歩は面白く感じることの是非にかかっていると言える。
実を言うと、こういった選択の基準に意識的になったのは
私のオリジナルというわけじゃない。
以前、読んだ車雑誌「NAVI」の対談かなにかで
テリー伊藤氏が車を買う時の選択基準を語っていた中で
そういった話が出てきて妙に私の琴線にふれたものだから
それ以来、「面白選択基準法」(今、思いついたので勝手に命名)
を採用しているというわけである。
別にテリー伊藤氏のファンというほどでもないのだけど
ちょっと、これにはやられた!
何を面白いと思うかは人それぞれなので好奇心や知識の度合いで
選択そのものが違ってくるわけだけど
やってはみたが、面白くなかったなんてことは
もちろん、枚挙にいとまがないほど経験する。
しかし、その結果がどうあれ
自身の背中を押す理由が誰にも必要ではある。
あるいは押さない理由でもよいわけだが・・・
金や時間の都合で割り切れる事柄というのは
目的がはっきりしているが故に
あまり迷うこともないだろう。
自分にとってより条件の良いほうを選ぶというのは当然で
自身を納得させるための不都合など、あまり存在しない。
とりあえず「このへんでいいや」という欲求さえ満たされれば
無駄に選択という行為を繰り返さずに
後は他のことを心配していればよろしい。
それでも金や時間だけで割り切れない事柄も
当然、生じるわけで
そんな時、自身が、いったい何に引っかかって
逡巡しているのかさえ了解していなことだって、まま経験する。
自身が自分のことを一番、理解しているわけでもない
というよりは自分の欲求を言語化出来ずに
他人に説明するのもおぼつかず
それでも思いだけは確実に感じているという
誠にもって消化不良な心理状態とでもいえばご理解頂けるだろうか?
だから、私にとって「面白いか、どうか」は
その消化不良を解消する為の胃腸薬みたいなものなのだ。
金も時間も大事なことではあるが
さりとて、それだけではスッキリしない感覚への処方箋。
結果、面白くないことになったとしても
自身の見込み違いを笑って修正出来るだけの理由付け
もちろん、面白いことが存在するのではなく
私が面白くしていく努力と思考を怠らないということが大前提であり
そこに可能性を見出していく過程こそが”面白い”ということなんだけどね。
2007年10月21日
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