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2008年01月06日

ギャップ。

先日、新年会ということで若い人と席を同じにする機会があったのだけど
なるほどこれがジェネレーションギャップというものかと納得した次第である。
つまりは、若い人と話が合わないということなのだが
今更、おっさんの昔話を
若い感性に繰り返したところでどうにもなるもんじゃなし
私は、周りで繰り広げられる会話を酩酊した状態で
ただ、口数少なく聴いていたわけである。



結局、リトマス試験紙がどの程度で色が変わるのか試すように
世代の位置を特定すべく
記憶の共有濃度を測りながら会話は進められるわけなのだ。
音楽や漫画、テレビ番組や映画
「それは名前だけは知ってるけれど見たことはない」なんて答えに
ありがちな、そして何度も何処かで誰かが繰り返したであろう
年齢の積層がいつの間にやら相当な厚さになっていることが
自身にも確実であると気がつくわけである。

放っておいても年だけは確実に取る。
だから年長であるという事実は偉いことでも何でもない。
それでもそれなりに尊重してもらえるのは
その方が、あらゆるコストが安全に安上がりに実現できるからにほかならない。
それを礼儀と呼べば耳当たりも良いし
いらぬ争いごとを起こすことなく、こちらも低コストですむ。
その他の個人的な関係性に生じる様々な感情もひっくるめて
まぁ、大筋でそんなとこだろう。

年長者を敬うなんていうのは
間違っても自身に敬われる資質があるなんて思ってはいけない。
その必要性というのは敬われるほうにではなく
能動的に働き掛ける側にあるものなのだと肝に銘じておく必要はあるだろうな。
いや、そこんとこ大事なことだと個人的には思うのだが
何処かの誰かが理解していないのは、別に私の責任ではないさ。
つまり年取っただけで偉いと思い込んでいる思考能力に限界のある人というのは
ここかしこにいらっしゃるということを言いたいだけのことである。

いや、こんな話を書くつもりではなかった。

それよりも気になったのは、既成事実として
記憶の共有の手がかりになるのは出版物であり放送媒体であり
つまるところメディアに依拠しているということに
改めて思いを馳せたわけである。

で、何が起こっているかというと2〜3年の学年の差でさえ
微妙なギャップが生じてしまっている。
つまりは世代の記憶の共有が、細分化しているなと・・・
もちろん世代だけではなく地域的ギャップというのも
それらの記憶の共有に影響しているわけなのだが
情報量の多さが加速度的に増幅すればするほど
それらに割り当てられる時間には限度があるわけで
記憶の共有というのが同世代間でさえ分断されて単位が小さくなっていくのかな?

でもって地域差というのはインターネットで縮小され
多少は記憶の共有が統合されはするけど
情報量の多さとその処理能力で記憶を共有する共同体というのが規定されていく。
まぁ、飲み会の席で同世代同士の会話が不能になるなんて
今に始まったこっちゃないのだが・・・

ああ、そうか共同体を良くも悪くも維持するツールとして
携帯電話のメールがあるわけね。
パブリックなメディアが緩やかに自らの重さで沈んでいくのを横目で眺めつつ
パーソナルなメディアによって記憶の共有と補強が行われると・・・
面倒な手続きのいる井戸端会議みたいなもんか?よーわからんです。
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