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2008年04月19日

モノづくり。

長い間、製造の現場で働いてきた。
もともと文系の大学を出て最初の就職だった営業は肌に合わず
結局、モノを作るということの方が自分の性分には合っていると思っていた。
で、振り返ってみれば、ここ、二〜三年の間で
いわゆる“モノづくり”への幻想が私の中で
かなりの部分、萎えてしまった。

それほど多くない経験で語ることを許されるなら
コストダウンと納期短縮がせまられる現場で良い製品というのは
成立しにくいという、至極真っ当な結論に辿り着いた。
もちろん湯水のように使える時間さえあれば良い製品が出来るわけではない。

しかし、時間が限られている中での作業は当然、無理が生じるし
コストダウンのために材料のランクを落とすことで
不良品が発生する確率というのは確実に上がる。
そして、悲しいかな私のいた現場では
それら全てが要求され、全ての禍も降りかかってきた。

想像するに、おそらくそういった現場は、少なくないのではないかと思う。
"モノづくり”という言葉がなにやら私には夢見心地の言葉に思える。
メディアでとりあげられる世界に誇れる町工場の技術は確実に存在する。
しかし、その割合は、全体からいえば、幻想を喚起するには充分だが
“モノづくり”立国なるものを声高に誇れるほどでもないといった印象だ。

必要なのは“安くて良い”実態よりも
それ風のイメージさえあれば事足りる状況にすり替わっていくような
そんな不安と現実を受け入れざる得ない時間を過ごしてきたと思う。
しかし、それでも最高の品質ではないが
使える範囲の充分に足りうる製品ではある。

それでは、私が何に引っかかっているかといえば
要求されていることと実態に乖離が生じているせいで
事実上のダブルスタンダードが成立しているにもかかわらず
それは修正されずに責任の所在というロシアン・ルーレットに
つきあわなければならないということである。
もちろん銃口は弱い立場の者に向けられるのが常ではある。

海の向こうに有る世界工場の品質を嗤えるほど
ここは、労働条件や環境も含めて、それほど立派なものなんだろうか?
それほど酷くはないって程度のニュアンスこそが
相応しいのじゃないだろうか?

いや、たまたま私が経験した現場が特別だったのかもしれない。
日本中の製造現場の実情なんぞ知りうるわけもない。
それでも私は、いろんな意味で自分の中にある価値観に修正を加えながら
この数年の間で、良くも悪くも覚醒したのだと思う。

就職が決まってから、しばらく過去を振り返っては
そんなことばかりを考えていた・・・。

「熱狂の後始末」

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熱狂の後始末word.jpg
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