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2008年05月17日

顕在化。

独居老人の孤独死というのが、やたらと報道された時期があったと思う。
印象だけで語ってしまってアレなのだが
おそらく報道が目立った時期と今現在でも
それほど状況は変わっていないのではないかと思う。
いや多少は改善されたのかもしれない。
遺体発見が早くなったとか、その程度には・・・

その報道が目立った時期というのは阪神淡路大震災の後だった。
仮設住宅などでの孤独死が目立つ状況だったので
報道もそれらを取り上げる機会が多かったのだろうと予測される。
なにやら震災によって独居老人の孤独死が増えたような印象も受けたが
それは、あくまでも印象で本当のところは
それまでもあったはずの孤独死が震災によって、より顕在化したのだと思う。
都市が従来、持っていたはずの問題が見えやすくなっただけの話で
そのうち仮設住宅もなくなり再び孤独死が見えにくくなったのと
報道が、あるいは人々が興味を失うことで
問題は解決されたのではなくて
震災という出来事をきっかけに発見され、そして飽きられたのだと思う。

出来事というのは継続していても興味を失った途端
まるで存在しないかのように扱われるのはいつものことで
それでも、わずかな間でも世間の知るところとなったのであれば
まずは良しといったところで収まることに別に違和感もない。

今回の主題はそういったことではなくて
「自然災害というのは
その被災地がもともと内包していた問題を顕在化させるものである」
ということが言いたいわけなのである。

台風であれ震災であれ人為的な不正や政策の不備といったものが
より強固な災難となって降りかかってくる様というのは
あえて誤解を招く例えをするならば
神が人に与える試練のカタログをのぞき見るようでも有る。

もしかしたら助かっていたかもしれない人命というのは
「思想や金、時間の使い方の優先順位が間違っていたのではないか?」
という後悔と懸念、あるいは疑心暗鬼を引き起こすには充分である。
「今更どうにかなるものでもない」といった諦念までも含めて・・・

だからこそ国境や民族などに関わる恩讐はひとまず棚上げにしてでも
事に当たらなければ神の所業に対抗することなんて叶いはしない。
試練というのは「何にも出来ない私」というような状況さえも巻き込んでしまうほど
広範囲に試されているんではないだろうか?

少なくとも環境問題なんかよりは
よっぽど分かりやすいサインが投げ掛けられているような
私自身は、そんな気がしてならない。
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